第1回
自己紹介-僕がBGDのテストパイロットになるまで
こんにちは、花田瞬と申します。
僕は現在、パラグライダーメーカーのBGDでR&D(開発)チームのテストパイロットとして働いています。
このたび縁あって、パラワールドWEBで連載を持たせてもらうこととなりました。
僕のことをご存知のない方も多くいらっしゃると思いますので、第1回の今回は自己紹介も兼ねて、どういった経緯でBGDで働くこととなったかをお話しさせていただきたと思います。
高校1年生でパラグライダーを始める
僕は、福岡県出身の25歳です。パラグライダーを始めたのは高校生1年生、15歳の時。ちょうど今から10年前、地元福岡のSSAパラグライダースクールに入校しました。

15歳で初フライトした時の記念写真。
ある日スクールに行くと、とあるレジェンドの方がいらしていました。テストパイロットもやっているというその方は、飛びもグライダー操作も、明らかに違っていました。
僕もあんな風になりたい! これが、僕がテストパイロットになりたいと思うようになったきっかけです。
高校卒業までの約2年半はほぼ毎週末スクールに通い詰め、天気が良い日は学校も休んで飛びに行き、P証取得に励みました。
とても優しい先生や仲間に恵まれ、パラグライダーにどっぷりとハマりました。
そしてパラグライダーの道で生きていきたいと思うようになり、高校卒業後はインストラクターの道に進むことにしました。
しかし、インストラクターをしているとなかなか飛ぶ時間がありません。18歳で若すぎたなとも思います。飛びたくて飛びたくて仕方がありませんでした。
そして礼儀や行儀も分かっていませんでした。スクールのお客様の年齢層にも合わせられず、自分の技術を磨きたいという思いが抑えられなくなり、インストラクターを辞めてしまいました。
3ヶ月のヨーロッパ修行へ!
その後は、技術を磨くために大会に出場したいと考え、先輩選手の皆さんにコンタクトを取りました。そこでいただいたアドバイスは、単純に技術もフライト時間も足りていないということ。
そこで阿蘇ネイチャーランドにお世話になりながら、大観峰で毎日飛び続ける生活をしました。
夜はコンビニでアルバイトをしながら約3ヶ月で200時間ほど飛び、グライダーのステップアップもしました。お金を稼ぐ手段を作るためにもタンデムの練習もスタートしました。
そして、国内の大会だけでは選手として成長するのには時間がかかることを教えていただき、ヨーロッパに3ヶ月修行に行くことになりました。
この3ヶ月が、自分の人生を大きく変えたのだと思います。
3ヶ月異国の地で、飛べるだけ飛び続け、大会のためだけにすべての時間とエネルギーを使って過ごしました。
多くの大会に参戦する中で、自分に足りない技術もしっかりと見えました。何より、ヨーロッパではパラグライダーへの情熱や思いを共有できるたくさんの仲間に出会うことができました。

2019年のヨーロッパ修行にて。
このヨーロッパ遠征のために、当時19歳でお金も無かった僕はアルバイトとタンデムで貯めた資金だけでは足りず、クラウドファンディングで費用をサポートして頂きました。
今に繋がるとても大きな、有意義な経験だったなと心から思います。本当にたくさんの人のお陰で今があるなと感じさせられます。本当に感謝です。

たくさんの方に支えられ、多くの貴重な経験を積むことができました。
テストパイロットになりたい!
ヨーロッパ遠征から帰国して間もなく、新型コロナが流行。タンデムのお客さんも激減し、大打撃を受けました。
2020年は国内大会に参戦するために阿蘇でタンデムパイロットをしながら、土木の会社やコンビニでアルバイトをしたり、熊本のスパークさんで、パラグライダーの修理やハーネスの作り方などを学ばさせて頂きました。
2021年は、タンデムのお客さんも少しずつ戻ってきたこともあり、やはり海外で修行したいと思い、ホテル隔離などと戦いながらワールドカップに参戦していました。
いくつもの海外大会で感じたのは、強いパイロットはテストパイロットか、またはお金持ちで好きなだけ飛ぶ時間があるパイロットが圧倒的に多いということ。
そこで現地のテストパイロットに話しかけてもみました。
「テストパイロットになりたいんだけど、雇ってもらえませんか? 小さいサイズのテストができると思います」と伝えましたが、「うちは募集していないから他を当たってみて。あそことあそこが探していたような…?」という返事。
そこで帰国後、ほぼすべてのグライダーメーカーにメールを送ってみました。ほとんどのメーカーが返信をしてくれましたが、大きな手応えはありませんでした。
そんな中、オゾンのラッセル・オグデンさんからの返信には、こう書いてありました。
「あなたがテストパイロットになりたければ、たくさんのいろんなグライダーに乗り、たくさんの大会に出場し、経験をもっと積む必要があります。良い成績を残していけば、メーカーの目に留まる人になれるでしょう」
夢を語っていた時、「ヨーロッパにたくさん優秀な若手がいるのに、誰が君を求めると思いますか?」と聞かれた際、答えることができませんでした。その答えを教えてもらったようで、スッキリした覚えがあります。
ちなみに、ラッセルさんとは今同じエリアでテストしているのでたまに話をしますが、この時のことは覚えていないと思いますw
2度目のヨーロッパ遠征で舞い込んできたチャンス
2022年はまた3ヶ月ヨーロッパで大会に出ようと決意しました。冬は朝夜働き昼は飛ぶという生活で技術を磨き、春にタンデムで貯金をし、5月から3ヶ月のパラ大会修行に行きました。
前半の大会には基本的に日本人は居なく、1人で参戦。3ヶ月となるとお金はどれだけあっても足りないので、現地で出会った友達とキャンプ生活するなどで節約しながら大会に出場し続けました。
後半は沢山の日本人選手たちと合流し、楽しい大会だったなと思います。

ヨーロッパでの大会で初優勝!
が、大会を重ね順調に調子を上げてきていたタイミングでコロナにかかってしまいました。1番楽しみにしていた大会に出場できなくなり、ホテルで1週間悔しい思いをしながら隔離となりました。
体調も回復してきたタイミングで大会が終了。次の大会に行く準備をしていたところ、ダビンチのムンソブさんから電話があり、今からご飯に行こうと言われました。体調も絶好調ではなかったものの、自分も先月コロナにかかった問題ないと言われ、悩んだ末に食事に行きました。
そこにはダビンチの社長のジフンさんとムンソブさんがいて、残念だったねとなぐさめられ、大会の話などをしていました。
食事もあらかた終わる頃、「メール送ってきたのを覚えていますか? まだテストパイロットになりたいという気持ちはありますか?」と聞かれ、すぐに「はい」と返事しました。
続けて「韓国で一緒に働く気はありますか?」と。3秒考えて「はい」と答え、韓国でテストパイロットをすることが決まりました。
ダビンチでの3年間

ダビンチチームの皆と。
2022年の9月から、韓国のヤンピョンでの新しい生活がスタートしました。
ムンソブさんは長くジングライダーズでテストをやっていた方で、すごく器用で優秀なテストパイロット。当時ジンでテストパイロットをしていたイドリスからも「ムンソブはすごく良いテストパイロットの先生だから、たくさん勉強するといいよ」と言われました。
何もわからなかった僕に、一からテストパイロットの仕事を教えて下さいました。
パフォーマンステストやマヌーバーテスト、グライダーの変更や修正方法などなど、挙げたらキリがないくらいです。
ジフン社長にも、たくさんの経験をさせて頂きました。
3年ほど一緒に働き、30機以上のプロトタイプをテストし、10モデル以上のグライダー・ハーネス開発に携わってきました。
ダビンチでは、本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。本当に感謝しかありません。
BGDに移籍
今年の7月にダビンチを円満退社し、自分の挑戦とフライト確率を求めて、フランスのBGDに移籍しました。
開発チームは、ブルース・ゴールドスミス、彼の息子のティエ、イラン人パイロットのケイバンと僕。この4人でグライダー開発をしています。
テストを一緒にするのはティエです。27歳で歳が近く、体重も軽量60kgで、とても良い環境でテストをできていると思います。

BGDチームの面々。右から、ブルース、瞬、ケイバン、パートタイムのテストパイロットのアベル、ティエ、メディア担当のメイサム。(敬称略)
BGDの本拠地である南フランスのゴードンはフライト確率が本当に高く、ほぼ毎日飛べて、良いコンディションの中、テストが行えます。
フランスに来てまだ約1ヶ月ですが、すでにたくさんのグライダーのテストに携わり、新しくグライダーのデザインも学びながら開発に取り組んでいます。

フランスでのテストのひとコマ。
以上、すごく長くなってしまいましたが、自己紹介でした。
現在パラグライダーのメーカーで開発チームの一員として働いている日本人は僕だけかと思います。
日本の皆さんにとっては、メーカーがすごく遠く感じられる方も多いのかなと思ったりしています。
そこで次回からは、テストパイロットはどんな仕事をするのか? ヨーロッパでの暮らしや近況も交えながら、ご紹介していけたらなと思います。
また、もし何か気になることなどありましたら、可能な範囲ではありますがお答えしたいと思いますので、質問やコメントなどよろしくお願いします。